無知から始める読書習慣

読んだ本の感想と日々の変化記録

新渡戸稲造『逆境を越えてゆく者へ』読書感想

 

お札の人、新渡戸稲造を知るために『逆境を越えてゆく者へ』を読んでみました。

 

こちらの本は、1911年刊行の『修養』と1916年刊行の『自警』を現代人にも読みやすい形にして精選され『逆境を越えてゆく者へ』と題し改めて出版されたものだそうです。とても読みやすかったです。

 

文章も読みやすかったのですが、新渡戸稲造は(青空文庫の方でも読んだことがありますが)女性でもすんなりと理解しやすいような内容なので、個人的に福沢諭吉よりも好きです(笑)

 

ところどころで、キリストの話が出てくるので、かなり影響を受けたのだなということがわかります。

 

ひとつ気になった新渡戸の言葉が

〝この世はままならないものである〟

〝このような世の中をうるさく感じ、一生を平穏に過ごそうとすれば、世間から離れた山の中にでも住むほかない〟

 

 

まさに今私が考えている事そっくりそのままだったので、少し考える部分でありました。

しかし、私は山暮らしを望んでいる。

 

 

本の中では様々なエピソードに加えて、その当時の時代背景や、新渡戸の友人や教え子の話、それからどんなお店が流行っていたのかなども書かれていて、想像力を掻き立てられます。

また、欧米と日本が対比されることも多く、いかにも明治時代らしいなと感じました。

 

 

逆境に陥った時の心構えや乗り切り方の他、順境の時の危険性についても書かれていている。敢えてうらやむほどのことでもないとのこと。

〝順境の人は絶えず水を掻く鳥の如し〟と言っている。

 

 

菜根譚』という本が最近気になっていたのですが、この本から引用されている文が結構あります。今度読んでみようと思う。

 

 

意外だったのは、「日本人は元来、物事に飽きやすい国民である」と書かれたいたこと。〝日本人は飽きっぽい〟ということは何度か聞いたことがありましたが、新渡戸稲造がそのようなことを言っているのには驚きました。

これに関しては「修養しなければならない」と言っているのですが、飽きっぽい日本人ではいられない時代背景だったのだろうと思う。

 

現代では飽き性なことは引け目に感じることではなく、生かすべきものという風潮も強くなっている。

 

 

継続は力なりといった事を言うが、継続を妨害する外部要因について書かれています。

・善意からの忠告

・他人の嘲笑

これらが一番の障害になるということで、深く納得です。

 

この嘲笑にあうと、断固とした継続心を持つ者でも動揺するとのこと。

 

 

妨害は自分の中からも外部からもやってくる。

 

 

 

 

〝逆境を越える〟ということなので、自己啓発的な何か厳しいことばかりが書かれているのかといえばそうではありません。

 

青年は無理せずに、あくまでも身体を大切にと。

例え話が出てきたのですが、これが面白くて思わず笑ってしまいました。

「わしは若い頃は歯がとても丈夫で、石でも噛んだ」

と自慢していた老人の歯を見たら、全部入れ歯だったことがある。

 

いくら丈夫でも一時の無理をしてはいけないとのことです。

 

 

後半で神経症的傾向のある人についての考えが出てきたのですが、その部分にはひどく納得しました。

 

要するに神経作用が鋭い者、つまり賢い者は目先がよく利くためにその分臆病になり心配の種が増えてしまうというのです。

 

しかし神経作用の強い者でも気弱な者ばかりではない。

何が違うのかと言うと、意志の強さだという。

 

この部分に関しては以前読んだ森田療法に重なる部分があるなと感じました。

 

6969.hateblo.jp

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最後に「人生の勝利者」について書かれていたのですが、この部分は現代だからこそ引っかかる部分がありました。

 

未開社会では〝腕力の強い者〟が最大勝利者であった。

社会が秩序のもとに治められるようになってからは、〝理屈の一番わかる者

〟が社会で勝利を得るようになった。

 

で、大事なのはここからで

社会がさらに進歩して礼を持って治められる時代に到達したのなら、礼の最も篤い者がが最高の勝利者となるだろう

といっていること。

 

 

明治のこの時代にこのようなことを言っている人物がいたことに驚きました。

令和になった今、その時がやってくるのでしょうか。