無知から始める読書習慣

読んだ本の感想と日々の変化記録

『森田療法』岩井寛 読んだ感想

 

 

森田療法 (講談社現代新書)

森田療法 (講談社現代新書)

 

 

あがり症をどうにかしたかったため、以前から気になっていた森田療法を読んでみました。

 

この本は森田療法を創始した本人である森田正馬ではなく、もっと後に生まれた岩井寛という精神科医によって書かれた本です。

 

Amazonで一番レビューの数が多かったので選んだのですが、あとから森田正馬本人の青空文庫を発見。

神経質に対する余の特殊療法

神経質に対する余の特殊療法

 

 こちらが本家なので、後にこちらもじっくりと読んでみたいと思う。

少しパラパラと読んでみたところ、昔の書物なのでとても読みにくい感じでした。

 

 

神経症の治療法について書かれているのですが、現在では西洋の精神分析が主流となっているのに対して、森田療法は東洋の思想が強く反映されたものになっている。

 

森田は日本における精神分析学の黎明期に活躍した人物である、東北大学の丸井清泰とよく論争になったという。

 西欧崇拝熱の強かった当時の学説と、東洋の思想が強かった森田とでは融和しようはずがなかったとのこと。

 

 

西欧

神経症者が何らかの形で心の内に内在させる不安や葛藤を分析し、それを異物として、除去しようとする傾向がある。

 

 森田療法

神経質者の不安、葛藤と日常人の不安、葛藤が連続であると考える。

したがって、その不安、葛藤をいくら除去しようとしても、異常でないものを除去しようとしているのであるから、除去しようとすることそれ自体が矛盾だということになる。

 

 

〝異常〟ではないものを除去しようとしている

 という文にハッとさせられます。

 

 

そして一番の肝である部分は

〝神経質者は「かくあるべし」という自分の理想の姿を設定してしまう〟という部分。

理想が高く、完全欲へのとらわれが強いのだそうだ。

 

森田によると、神経質者は「生の欲望」が強いのだそうです。

これは意外でしたね。

しかし読んでみると確かにその通りなのです。

〝よりよく生きたい〟と思えば思うほど、〝よりよく生きられなかったら〟という不安が強くなってしまう。

 

 

〝かくあるべし〟という理想と〝かくある〟という現実が衝突して、この両者が離れれば離れるほど不安や葛藤が強くなり、神経質者は現実と離反してしまうという。

 

 

で、この〝かくあるべし〟なのですが、やはり厳格な父親など、厳しい親に育てられたりすると、この考え方の傾向が強くなるのだそう。

家族それ自身がすでになんらかの形で教条主義的な傾向を持っており、真面目で几帳面で融通がきかないというニュアンスが強い

 そこに育てられる子供も、自然に〝かくあるべし〟という傾向が強くなってくる

 

 

 

 

 

そこで森田は『あるがまま』という理念を立てる。

人間には美と醜、善と悪が同時に存在する。それが人間性の真実であり、事実だと。

つまり人間には常に相反する志向性が内包されているということです。

 

なので、どちらか一方を切り捨てて、他方にのっとっていくというわけにはいかず、どちらも認めた上で自己実現したい方の自分に従っていくというもの。

逃避したいという欲望はそれは当然のものと認め、それはそのままにしておいていいという。

 

「目的本位」という言葉が出てきますが、これはアドラーを彷彿させるなと思いました。

この本を読んで思ったのはやはり自発的な「目的」をもつことってとても大事だなということ。

目的を達成したいからこそ、何かを乗り越えることができる。

 

 

まとめ

本の内容は半分納得で、半分はなんかモヤモヤするなといった感情が残るものでした。

それはたぶんこの本が昭和に書かれたもので、その当時の時代背景を元に書かれているからなのではないかと思います。

 

ただ、ハッとさせられる部分や新しい発見、参考になることは本当に多く、読んで良かったです。

 

 

森田療法が数年前から気になっていたので、やっと手にすることができてスッキリしました。

余裕がある時に、森田正馬本人の方の書物も読んでみたいと思います。