読書をするようになってからちょくちょく目につくようになった、『リベラルアーツ』という言葉。
テレビの討論などでもよく聞く言葉でしたが、それがなんなのかということが私にはわかりませんでした。
そこでAmazonで検索してみたところこちらの本を発見。
リベラルアーツの内容を詳しく知るために読んでみました。
まず、リベラルアーツの起源はギリシア・ローマ時代にまで遡るそうで、当時は
「自由人(奴隷を所有することが許されている人、つまり奴隷ではない人)が学ぶ必要のある自由七課」
を意味したという。
自由七課
・文法学
・修辞学
・論理学
・算術
・幾何学
・天文学
・音楽
まず『奴隷』という言葉が出てきて私は驚きました。
ギリシア・ローマ時代から「知識の差」というものが奴隷なのか自由人なのかをわけるものとして当時から考えられていたとは。
現代においても奴隷のように働かなければいけないという状況は、知識の差というものが関わってきていることなのだなとこの本を読んで身に染みて思いました。
リベラルアーツは大学でいうところの「教養課程」に属する科目なのだそうですが、日本の大学では「人の精神を自由にする幅広い基礎的学問・教養」という意味では十分に学ぶことができず、独学が必要だとのことです。
日本の大学の問題点(自由な精神とは程遠い学部や権威主義など)について詳しく書かれていますが、日本全体に言えることでとても納得でした。
現在の日本はバブル経済崩壊後の停滞の時代に入ってから長い間経っていますが、その根本的な原因は構造的・経済的なものだとこの本で書かれています。
最近私が読む本では、もう大体同じことが書かれているなと思いますが、やはり明治時代以降に始まった「古い枠組み」から抜け出すことができず、なかなかその枠組みを作り替えることもできないという部分が問題としてよく出てきます。
今のままでは官僚の劣化がそのまま国家や社会の劣化を招き、そして人々が自分で考え、決断する力も育たない。
本の中ではこういった意見は本当によく目にするのですが、なぜこんなにも悪い状況がずっと変わらずに続いていくのか疑問に思います。
そんなに枠組みを変えることは難しいことなのだろうかと考えてしまうところです。
これは本当に一人一人の意識の問題なのだろうなと思います。
それにしても著者は裁判官を経験した人物であるので、その枠組みの重要な位置にいたような人間がこのような疑問を持つということは不思議に思えます。
本を読んでいくと、それは音楽のロックを聴いていた影響があるそうで、そのロックという芸術の感性があったからこそ、日本のヒエラルキー的な支配に対する違和感が非常に大きくなっていったのだと書かれてあり、非常に納得をしました。
この本の中で、音楽もリベラルアーツの一つとして組み込まれ、クラシック、ジャズ、ロックとそれぞれの楽しみ方などが書かれてあるのですが、私もロックをたまに聴くせいか、ロックについて書かれてある部分がとても学ぶ部分が多かったです。
音楽に続いて漫画が出てきて、「大衆芸術」として学ぶものがあると、色々な漫画を例に紹介されています。
私も漫画は好きですが、リベラルアーツの本の中で漫画が出てくるとは思ってなかったのですごく意外でした。
書物、音楽、映画、DVDは処分せずにコレクションしているといい、その数は何百枚、何千枚にもなるとのこと。
物をコレクションして置いておけるほど色々と余裕のない私にとってはとてもうらやましくも思いました。
つい最近断捨離をしてすっきりとしましたが、本や音楽、映画などは好きなので幼い頃からの色々なものを取って置けたらそれはそれですごくいいだろうなと思いました。
書籍については生物学、脳神経科学、精神医学、社会、人文科学、思想、ノンフィクション、批評、伝記、評伝と、それぞれのジャンルからさまざまな本がたくさん紹介されていて、どれも興味をそそるものばかりでした。
その紹介の中で私は一冊だけ読んだことがある本がありましたが、読むと本当に世界を見る目が変わってしまうかのような本です。
(断捨離で手放さずに手元に置いてある本の一つです)
その他、芸術、映画、写真、文学など本当に様々な知識の詰め合わせといった感じで読み終わったあとは満腹感があります。
最初、著者のことなどを何も調べずに読んだのですが、勝手に30代40代くらいなのかなと想像して読んでいましたが、読み終わって調べてみると1954年生まれなのだということがわかり少し意外に感じました。
それだけいきいきとしているということなのでしょうか。
この本を読んで、いろいろなことを好奇心を持って知ることの大切さ、芸術の楽しみ方などがわかり、今まで以上に深くものごとを見る目を養おうという気になりました。