今回はまた青空文庫で無料で読める古いものを読んでみました。
1949年ということで、戦後間もない頃の文学ということになります。
昭和の文学とか詳しいわけでもなく、『鬼畜の言葉』というタイトルだけを見て読もうと決めたのですが、内容はその通り、まさに『鬼畜の言葉』についてでありました。
冒頭から「新しい日本に生きる喜び」という文が出てきて、当時戦後をを生きた人の生の声があり想像が掻き立てられます。
そしてこの頃から「世界の平和」という言葉が使われていて、みんなそれを願っていたのだという事を考えるととても感慨深くあります。
そして、当時の日本人の残虐性について怒りを覚えているのだろうなということが、文を読んでいて窺えます。
「人の命を荒っぽく扱うにならされた日本のすべての人が、ひとの命、自分の命の尊厳を知ること。」
この文で気になるのが〝ならされた〟という言葉で、元々はそうじゃなかった(かもしれない)という意味を含んでいるのだと私は解釈しました。
それから、〝ひとの命、自分の命の尊厳を知ること〟これはまさに現在進行形で胸に留めておかなければいけない言葉だと思います。
私はあまり戦争については詳しくないのですが、戦後間もなくの文章ということで、当時の問題になっていた話題が出てきます。
『吉村隊の残虐』という話が出てきますが、調べてみるとたぶん↓についてのことなのかなと思われます。
ただ現在のWikipediaなんかを読んでも、あやふやな部分もあるのかなと感じました。
中古ではありますが、そのことについての本も出ているようです。
この本のタイトル『鬼畜の言葉』は当時日本の人口が増えすぎて困っているということに対して放った鈴木文史朗の言葉についてが肝となります。
「理想的なやりかたは、ひと思いに何千万を殺すか、自殺かだ。」
確かにこの言葉は鬼畜だ。
しかも「自殺かだ」って一体なんなんだ・・・。こわ・・。
文史郎のこの言葉に対して、宮本百合子は
〝アメリカで何を学び、どう語ることを学んで帰ったというのだろう〟
〝戦時中彼はヨーロッパ漫遊をしてナチスと兄弟となっていた日本権力の活躍ぶりを視察して、本も著している〟
〝日本人の残虐性は根づよいと思わずにいられまい〟
と語っています。
宮本百合子の怒りは最後の文にまとめられていて、現代に生きる私の心にも非常に強く響きました。
わたしたちは、自分を、何千万かを殺す立場におこうなどとは思えもしない人民である
人間らしい心のすべての日本人の声として、つよく抗議する
日本に残っている封建的感情は、ハイ・ボールの一杯機嫌で気焔をあげるにしても、すぐ殺生与奪の権をほしいままに握った気分になるところが、いかにもおそろしいことである
この種の人々は、どこの国の言葉が喋れるにしろ、それは常に人間の言葉でなければならないということを知るべきである