無知から始める読書習慣

読んだ本の感想と日々の変化記録

和辻哲郎『夢』読書感想

今回はタイトルが気になった和辻哲郎の『夢』を読んでみました。

 

 

以前『小寺巡礼』という本を読んでみたのですが、半分も読まずに断念。

私には理解が難しくて途中で読むのをやめてしまいました。

 

その本繋がりで『夢』という本を読みましたが、こちらの本は驚いたことに、すらすらと内容が入ってきて、すぐに読み終わることができました。

同じ著者なのに本によって読みづらいものと読みやすいものがあるとは驚きです。

 

 

冒頭「夢の話をするのはあまり気のきいたことではない」という文から始まります。

確かに夢という抽象的な物事を語るという事は、日常生活では気のきいたことではないかもしれません。

そして人によっては理解しがたくなるかもしれないというところも考えてのことなのかなと思いました。

あえてそのことについて文章にしたところがこの本の面白いところです。

 

 

三行読んだところですでに内容に引き込まれます。

その内容は【痴人夢を説く】という言葉は〝痴人が夢を説く〟という事ではなく、〝痴人に対して夢を説く〟というのがシナのことわざであったとのこと。

前者と後者ではまったく意味が違ってきます。

 

このことについて、著者なりの考えが書かれているのですが、深く考えさせられてしまいます。たぶん、このことわざは、人によって意味が違うのかもしれないと感じました。内容はいかにも哲学者だなという言葉や当時の言葉が次々に出てきて、昔の本っぽくて好きです。

 

 

『夢』といっても、寝たときに見る夢の事なのか、理想のことを言っているのかでも意味が違ってきます。そして昔の人は夢を神のお告げとして解釈していた。

色んな方面からの夢について語られていてとても面白いです。

 

 

本を読み終わった後に残っていたのは意外にも「寝る前に食べたものが夢に影響する」という内容でした。

著者がその夢を見た時は、日米関係が悪化していた時で、食べ過ぎた日の夜、なんと日米開戦を夢に見たのだという。

 

その夢の内容が詳しく書かれているのですが、その内容によると、この著者は開戦を前に東京が空襲により致命的な打撃を受けるという予知夢を見ていたことになります。

どうやらアメリカが恐ろしいものを発明していたということもその夢に出てきたようで、なぜ、そんな夢を見たのかについても著者なりに分析されていて面白いです。

 

 

その夢に出てきた景色は、関東大震災の時の記憶が蘇ったものではないかという。

そして「これでもう最後だ」と思った時に目が覚めたのだそう。

 

 

 

私も夢はよく覚えている方で予知夢なんかもたまに見たりするのですが、夢というのは過去に起こったことや、人から聞いた話や、テレビや映画で観た映像、なんでこんなものがといったものまで色んなものがごちゃ混ぜになったものが出てきます。

何度か死ぬ直前の夢も見たことがありますが、やっぱり直前で目が覚めるんですよね。

 

 

夢が現実になるとは言っても数あるうちの夢がたまたま的中したといってしまえば、確率の問題なのでそれまでなのですが、それでもこういった話を聞いていると夢とは何ぞやと、無意識、潜在意識など未知への好奇心がわいてきます。

 

 

戦争の夢の他にもう一つ語られていますが、いずれも私にとってはとても面白く、夢のトンチンカンさに笑えるところもあって楽しく読めました。

結末があるわけでもなく、夢についての明確な答えがあるわけでもないので、夢の話にはまったく興味がない人にとってはつまらない内容かもしれませんが、著者自身が冒頭から痴人夢を説くという話を使ったり、見た夢について「ケチ臭い夢をケチ臭いままに書いてみたのであるが」といっている辺りがなんとなく私は好きです。

 

 

普段目にしているものがどれだけ夢に影響を与えるのか・・・についても書かれていますが、夢に関してはその晩に食った鳥鍋が主な原因であろうという結論が興味深く、結局読み終わった後に私の記憶に残ったのはその部分だったのでした。

 

 

 

夢の話からの繋がりで、この時代の背景なども窺えて、この時代の人はこう考えるんだと思ったり、時代は変わっても人間の思考の癖は変わらないのだなと感じたり、夢意外にも知ることが沢山あって読んで良かったと思える本でした。

 

著者のように頭脳労働をする者が、肉体労働をする者から見るとのらりくらりと遊んでいるように思われるといった切実な悩みは、現代でも十分に通ずるところがあるなと思ったと同時に、未だに労働信仰が根強い日本だけど当時からそのように悩む人がいたと思うとなんだかホッとする気持ちも起こりました。

 

 

 

夢