坂口安吾の『桜の森の満開の下』という短編小説を読んでみました。
この小説を読む前に、梶井基次郎の桜の樹の下にはという短編小説を読んだのですが、どちらもパンチの効いたものなので、ダブルで読むと尚更に「桜の美しさと恐ろしさ」といったものがズシンと重くのしかかってきます。
感想を書くと、とても気に入りましたが、今後はもう気軽には読めないと思います。
その理由の一つが、物語の中盤辺りで女が生首のコレクションをし、それで首遊びをする描写があるのですが、それがなかなかに生々しくネチネチとしていてとても気持ちが悪い。
その非現実的な様子がリアルに想像できてしまうところも、この作品のすごいところです。
まず物語の序盤では、一般に通っている「桜」の常識が覆されます。
一般的には桜が咲くと酒を飲んでみんな陽気になるが、それは江戸時代からのことで、大昔は〝桜の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした〟とあります。
これは本当のことなのか、この小説の中での設定なのかはわかりませんが、妙に説得力があるようなそんな気もします。
とにかく、桜の木の下に人間の姿がなければただ怖いだけですといった話が頻繁に出てくる。
読んでいるうちに、確かにそうかもしれないと思えてきた。
この小説に出てくる怖い桜の森は『鈴鹿峠』と呼ばれていて、調べてみると三重県に実在するもののようです。
主な登場人物は山に棲み、追剥をして人を殺し、女は妻にするという惨たらしい男です。こんな惨たらしい男でも、桜の木の下に行けば気が変になるという。
そんな男が街道を歩いていた夫婦を見つけ、亭主は殺し、女は妻にしたのですが、この女が曲者で、美しいのですが超絶我がままなのです。
美しいので、男はいう事をよく聞いた。
しかし、女は美しいのだが男はなぜか不安になる。
桜の森の満開の下を通る時(の不安)に似ていると思ったのです。
山の生活に飽きた女は山を降りて都で生活をしたいと男に頼み、都で生活するようになりますが、そこでの生活の描写はほとんど生首遊びばかりです。
もう、ここの部分は今後はあまり読みたくない部分ですね。
ここの部分はしばらく耐えて読まなければならない。
たぶん女はサイコパスだと思います。
女の果てしない欲望にも疲れ、男は山が恋しくなり、帰る決断をします。
なんとこの時男は女を殺すことを考えていた。
とても心理描写が独特なのですが、でも妙にしっくりとくる何かがある。
個人的には男の
〝山へ帰ろう〟
〝山へ帰るのだ〟
〝なぜこの単純なことを忘れていたのだろう?〟
という言葉がとても印象的でした。
女は一度はいつものように男を窘めますが、男の決意が揺るがないことがわかるとしおらしくなり、涙を流しながらお前がいないと生きていけないと泣いた。
そんな女を見た男は嬉しくて夢見心地になった。
最初に出逢った時のように男は女をおんぶして山を登る。
なんとこの時、桜の森の花盛りの時です。
そしてその時は突然やってくる。
男はなぜか急におぶっている女が鬼であるということに気が付くのです。
男は走り、おぶっている鬼を振りほどくと鬼は下に落ち、男は鬼の首を絞めて殺した。
しかし、我に返ると殺したのは鬼ではなく、いつもの女であった。
男は初めて泣いたという。
そして、そのうち女の姿はなくなり、幾つかの花びらになっていた。
これだけでも驚くところなのですが、その花びらを掻き分けようとした男の身体も消えたというのだから驚きです。
この最後の終わり方がなんとも不思議で、怖くもあるのですが神秘的でもあります。
そして色んな捉え方ができると思います。
私は最初は、女が桜の森の化身であり、人間に化けて暮らしていたのだと解釈したのですが、男も消えたとなると、桜の森に何かそういった力が働いており、どちらともその力に吸い込まれて消えてしまったと考える方が自然なのかなと思いました。
また、最初から男も女も存在していなくてただの幻想であったという考え方もできるのかなと思いました。
とにかく、最後の終わり方は神秘的で怖くて奇妙で衝撃が走ります。