無知から始める読書習慣

読んだ本の感想と日々の変化記録

ヘンリー・D・ソローの『モノやお金がなくても豊かに暮らせる。』読んでみた感想

 

 

断捨離を始めてから二年ほどが経ち、最近ではすっかり価値観やお金に対する考え方などが変わってきました。

「少ない物でスッキリ暮らす」系の本が最近よく目につくようになりましたが、ミニマリストの本家本元のような本を発見したので読んでみました。

 

 

モノやお金がなくても豊かに暮らせる

モノやお金がなくても豊かに暮らせる

 

 

 

このヘンリー・D・ソローという方はWikipediaによると、アメリカの作家、思想家、詩人、博物学者で1817年~1862年までを生きていた人物とされています。

 

最近読む本でよく見かけるようになった名前なのですが、今流行している断捨離ミニマリストノマドという生き方を誰よりも早く実践していた人物であるといえます。

 

その内容は

モノで身動きが取れない生活を捨てて、1845年夏、ウォールデン湖の森の中に丸太小屋をつくり、自給自足の生活を始めた。

とのこと。

長い間森の中にいたのかなと?思いきや、2年2ヵ月と、そこそこ短いような感じもします。2年程度なら私も森や山で暮らしてみたいなと思いました。

 

当時のアメリでは既に「大量生産」「大量消費」が始まっていたようで、ヘンリーはそんな暮らしの変わっていく姿に嫌気がさしたのかもしれません。

実際に本を読んでいて、世の中に対する疑問を持っていて、少し皮肉っぽく感じる部分もありましたが、自然を愛しているのだなとも感じました。

 

 

 森での生活中に人頭税(納税能力に関係なく全ての国民に課せられる税)の納付を拒否して逮捕・投獄されているという。

当時の社会や政治に対して強い疑問を持っていいたということがわかります。

 

確かにヘンリーのように、働かずにモノも買わず、自給自足で生活し、そのことに満足している人から税金を取るというのはどうなのかなと感じました。

当時は移動手段も徒歩と、お金を使わない生き方を徹底していたとのこと。

汽車に乗るためにはお金がかかるが、そのお金を稼ぐのに自分の時間を消耗し労働として提供しなければならなくなるので、結局その時間を考えたら歩いても同じなのでは?という考えを持っていたのです。

現代と当時では状況が違ってくるのでなんとも言えませんが、こういった疑問を持つことに関して見習うべきところがあると思いました。

 

 

この本の中で特に印象に残ったのはモノを買わなければ肉体も精神も消耗させる労働から解放されるという部分です。

例えば、無駄に仕事をしなければ疲れることがないので、お腹があまり空かない。

だからそれほど食費はかからない。

朝早く起きなくていいし、ストレスもないので、ストレスを解消するためのコーヒーやお茶も必要ない。

服を着る最大限の目的は「体温を保つこと」「裸で歩き回らないこと」など、言われてみればそうだよなと思うような事ばかりでした。

 

 

もっと若いころにこういった考え方に出会っていればどんなに良かっただろうか?と思うことが最近よくあるのですが、当時欲望まみれだった自分にこういった考え方が響くのかどうかは謎です。

でも少なくともいらない苦労や無駄な消費をせずに、常にひっ迫しているという日々を過ごさずにすんだかもしれません。

当時は本当に疲れ切っていましたので・・・。

 

「働くため」に余分にモノを揃えたり働いてそのストレスを解消するためにお金を使ってまた稼ぐという行為は本当に無駄だったなと思います。

維持するためにもまたお金がかかる。

 

 

現代人の骨格も先祖の骨格もほとんど変わらない。つまり生きるのに最低限必要なものはほとんど変わらないという言葉が出てきますが、その最低限必要なものとは「食べ物」だと書かれてあります。

 

現代の日本では食べ物は贅沢をしなければ安く手に入れることができるし、やろうと思えば無駄な消費をせずに本当にスリムな生活ができるんだよなと改めて思いました。

 

 

すごくシンプルなことが書かれている本ですが、自分の生活はどうなのか?と疑問を持ち、考えなおすのにとても参考になる本だと思いました。

そして、ここ数年お金を使わないように徹底して過ごしてきましたが、この本を読んで本に書かれていることとは逆かもしれませんが「消費することはそんなに悪いことじゃないかな」と考えるようになりました。

 

ヘンリーの生活を実際に実行するとしたらどうなのか?と想像をめぐらせた結果、モノがないことの身軽さと、便利さの間のちょうどいいところで暮らしていきたいという考え方に至りました。

 

 

 

『笑いながらわかるプログラミング勉強法(東京大学勉強法研究会)』 読書感想

読書を習慣にしてから三年ほど経ちますが、最近は何かと話題に出てくるプログラミングに興味を持ち始めました。

数年前はパソコンもうまく使えないレベルだったのですが、最近やっと全部の指を使ってブログを書くのにも慣れてきた。

 

2020年からは小学校での必須科目になるとされているプログラミング。

時代に取り残されたくないという思いと、プログラミングを知れば、世の中に対しての見る目が変わりそうという思いでこの本を読んでみました。

 

 

本当に「プログラミングって何?」レベルの人向けに書かれている本で、プログラミングって難しそうだなと身構えてしまう私にとってはとても読みやすくわかりやすい本でした。

 

コードの書き方についてではなく、プログラミングの学び方にフォーカスされている本なので、もうすでにプログラミングについてかじってしまっている人には必要ないでしょう。

 

内容は「プログラミングじじい」と「パソコンあき太」という少年との会話形式で話が進んでいきます。

ずいぶん適当な名前つけたなと最初は思いましたが、読んでみるとクスッと笑える部分が多々あり本当に笑いながら読み進めることができました。

 

プログラミングは一体どういったものなのか、どうしてこれからの時代必須なのか、

言語の選び方などが書かれています。

 

一冊本を買って実際に試してみることが大事ですが、検索力が重要になってくるということもわかりました。そして、その検索力をあげるには、パソコンのショートカットキーを覚えるといいということです。

 

グーグルクロームで使えるショートカットキーも載っていたので少しずつ覚えて使っていますが、マウスを使わないというだけで毎日のちょっとした作業が短縮され情報収集力も上がっていくのだと実感します。

 

そして何のためにプログラミングを勉強するのかという目的意識が大事だということ。

確かに意味の分からない文字を延々覚えるとなると、目的がぼやけていれば途中で挫折してしまいそうです。

 

一番残ったのは、プログラミングを勉強することは自分の一生を豊かにするための投資をしていることだという部分でした。

最近時間に余裕が出てきたので、プログラミングを学んでみようと思います。

 

 

プログラミングが全くなんなのかわからない大人から、これから学んでいく子供まで読める本だと思います。

 

 

『勉強するのは何のため?-僕らの「答え」のつくり方』苫野一徳著 感想 レビュー

読書を習慣にするようになってから3年ほどが経ち、知識量が増えたことによりさらに知りたい事が増えました。

Amazonのアンリミテッドを眺めていると、この本が目にとまりました。

 

勉強するのは何のため?―僕らの「答え」のつくり方

勉強するのは何のため?―僕らの「答え」のつくり方

 

 

「勉強するのは何のため?」という本ですが、思えば今まで「何のため」なのかをしっかりと考えたことはなかったように思います。

 

今現在私が習慣として本を読んでいるのは、生活を楽に(よりよく)するため、知的好奇心を満たすための二つだと思っていますが、子供のころから大人になるまでずっと勉強する意味がわからずに過ごしてきました。

 

子供のころに学校の先生に「なんで勉強しなきゃいけないの?」と生徒が尋ねる場面を何度か見たことがありますが、返答に困っている先生ばかりでした。

「なんとなく将来役に立つから」というぼんやりとした理由で勉強をしている人が多かったのではないのでしょうか(今の子供はもっと能動的に勉強していることを願いたい)。

 

 

まずこの本を読んで得られた答えは

自由に生きたいように生きるため

ということです。

 

書いてある内容はもっと幅広いのですが、この一言で私の「何のために勉強するのか」といった謎は解けました。

子供の頃にこういったことがわかっていれば、もっと勉強していたのかもしれない。

それとも、今だからこそ響いたのか・・・。

 

 

例えば読み書きや計算ができなければ、公共機関を利用するのが難しく、契約書の内容がわからずに騙されたり奴隷のように働かされたりする・・・それは不自由なことである。だから勉強をする。

 

 

もう一つ大きく印象に残ったのが

自由の相互承認

という言葉です。

 

お互いがお互いに、相手が「自由」な存在であることを、まずはいったん認め合うこと

 とされていますが、なぜこれが必要なのかは戦争を繰り返した歴史や、過去の奴隷問題について知ることで理解をしていきます。

 

簡単に言ってしまえば土地や資源の奪い合いで、戦争が繰り返されてきたわけですが、哲学者はこうした問題を解決できないのかとずっと考えてきた。

 

ルソーやヘーゲルが引き継ぎ

「なぜ人間は戦争をやめることができないのか?」といった問いに「それは、人間がそもそも「自由」になりたいという欲求をもっているからだ」という答えを出した。

 

動物同士の争いの場合だと勝敗がつきボスが決まれば争いは収まった。

しかし歴史上人間は多くの場合負けて奴隷にされて自由を奪われるくらいなら、たとえ死ぬことがあったとしても征服者に戦いを挑むことを選んできたという。

奴隷の反乱というものは、歴史上数えきれないくらい起こってきたのだそうです。

 

 

ここら辺の戦争や奴隷といったジャンルは苦手なのでこれまで意図的に避けてきたため疎い部分ではありますが、この本で簡潔に書かれていてわかりやすかったです。

今後戦争や奴隷についての本も読んでみたいと思います。

 

 

そんな惨たらしいことを繰り返していた歴史ですが、哲学者たちがどうしたらみんなが自由に生きることができるのかということを考えた結果出てきたのが「自由の相互承認」で、まずはいったん相手が自由な存在であることを認め合うことだという。

 

この原理を最も強調したのがヘーゲルで、このシンプルな考えにたどり着くのに人類は1万年もの歴史を費やしたとのこと。

 

そして現在では「基本的自由権」(生存・思想・良心・言論・職業選択の自由など)といわれるものを持っている。

 

しかし、法がどれだけ生命の自由や言論の自由また職業選択の自由なんかを保障していても、私たち自身に、みずから生きる力、言葉を交わす力、職業につく力などがなければ、それは絵に描いた餅にすぎない

 

この部分を読んで勉強をする理由がさらに理解できると思います。

どれほど自由が保障されていても自身にその能力がなければ結局は縛られたままなのだと考えられます。

 

例えばの話、無人島にたどり着いたとして、魚を釣って火を起こして焼いて食べたいと思ったとする・・・。

しかしその方法を知らなければ魚を釣ることも火を起こすこともできないのです。

その方法を習得するために勉強をする必要がある。

そうすればおいしい魚が食べられる。

食べられなければ不自由を感じる。

 

 

公教育(学校制度)についても書かれていますが、これはやはり問題点が多いものなのだなと、個人的に感じました。

いじめ問題や体罰問題についても書かれています。

 

一方的に課題を与えて絶対的な答えがあるかのような問題の出し方をして答えを出させるといったやり方はもはや時代遅れで、他の国ではすでに自ら問題定義をし、それについてみんなで意見を出し合って考えるというやり方が主流だそうです。

 

これはやはり北欧の方の学校制度を見習うべきなんじゃないかと私は思いました。

 

とはいっても内向的な人が多く、同調圧力が強く、みんなが同じであるべきだといった考えが根強い日本で能動的な方に転換したところで、またそのレールからはずれてしまうものが出てくるのだと思います。

 

これは「二者択一の罠」といって、この本の中で強調されていますが「こちらが正しくてあちらが正しくない」「こっちがよくてあっちが悪い」といった問い方の問題に私たちはよく引っかかる。

 

だから本当は「教育はこうあるべき」なんて絶対的な答えもない。

 

この本の一番の肝の部分は、「正解は人によって違う」という部分だと思います。

こんな当たり前のようなことなのに、世間では白黒をつけたがる場面によく遭遇します。ついこの前のテレビでも「いじめられる方が悪いのか、いじめる方が悪いのか」なんてお題の番組をやっていましたが、問題は「どちらが悪いのか」を決めることではないのでは?と強く疑問を感じたものです。

 

 

著者が提案しているのは二者択一でどちらが正しいのかを決めることではなく、どちらもそれなりに納得できる第三のアイデアを見つけ出そうということです。

 

 

一般化の罠

(自分だけの限られた経験を他の人にもあてはまるものとして考えてしまうこと)

二者択一の罠

(あちらとこちらどちらが正しいか?と問われるとどちらかが正しいんじゃないかと思ってしまう傾向がある)

 

この二つに普段から気をつける必要がある。

そして、この考えを世の中の人が自然とできるようになってくると、世の中はもっと人間らしく生きやすいものになってくるのではないでしょうか。

 

 

学校の問題については、オンライン学習も現在では充実しているし「学校で学ぶ」とい

う一つの選択肢に縛られる必要はないと私は思います。

 

「学びの機会を学校に独占させるのではなく、社会の中でネットワーク化する。そして自分に合ったもの、自分に必要なものを学んでいく」

といったことは1970年代にはすでにイヴァン・イリッチという人物が「脱学校社会」という本を出して提唱していたみたいですが、この時代にすでにこのようなことを主張していた人物がいたことに驚きました。

イリッチの

「本来学ぶべきことや価値のある事は一人一人違うはず」という言葉はもっともで、もっと学びの多様化が進んで苦しむ子供たちが減ればいいなと思いました。

 

もっとも現在では日本でも様々な学び方が導入されてきているみたいなので、これから徐々に変わってくるのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

『金持ち脳~捨てることから幸せは始まる~』 感想 レビュー

 

苫米地英人の『金持ち脳』という本を読んでみました。

「金持ち脳」というタイトルに加えてサブタイトルの「捨てることから幸せが始まる」という文に興味を惹かれました。

 

日本ではお金持ちイコール幸せという図式がインプットされ、お金持ちでなければ惨めで恥ずかしいという思いが蔓延しているという。

これはやはり政府がマスメディアや広告代理店を介して行った「貧乏脳」への洗脳であるといういこと。

 

割とこの手の話は苫米地氏の本でよく出てきますが、ストレートに私もそう思います。

やはりテレビを見なくなり「広告」といったものがあることを意識するようになってから世の中の見え方が変わってきました。

 

さらに本を読むようになり以前より格段と知識がついてきて、自分は今まで生きてきた中で色んな偏見を持っていたことに気がつきます。

それまでろくに本も読まずに情報の多くはテレビから得ていました。

 

 

よくよく考えると、世の中の人がお金を稼ぐことに必死になって、結局いい思いをするのは政治家やその他支配層ではないのかいうこと。

税金というものがなければ話は別なのだけれど、お金を稼げば稼ぐほど税金がかかることを考えると、必死でお金を稼いだとしても幸福度というのはたかが知れているのかもしれない。

 

いい車に乗らなくても、いい家に住まなくても、洋服をたくさん持っていなくても、本当は幸せな人はいっぱいいる。

 

善か悪か、ありかなしか、金持ちか貧乏か、どちらが正解でどちらが不正解なのかなど、マスメディアは白黒つけたがる節がありますが、本当はは二極ではなく多種多様なのです。

 

ブータン王国の例えが出てきますが、この国はGDPが日本の20分の1であるにも関わらず、国の95%の人が幸福であると思っているということが幸福度指数の調査でわかったのだそう。やっぱり成長率やお金を持っているかどうかと幸福度はそれほど関係なく、考え方や思想によって変わってくるんだなということがわかります。

 

 

政治家のことを悪く言っても仕方がないので、国の人それぞれが自分でちゃんと考え、年齢に関係なく情報収集をし、色んなことに疑問を持つということが大事になってくると思います。

 

著者はいい洗脳と悪い洗脳とがあり、いい洗脳とは「相手のためになるかどうか」で、悪い洗脳は「恐怖」や「不安」などのネガティブな感情を使ってくるもののことだといいます。

些細なことだと思って見逃していましたが、今後は悪い洗脳に侵されていないか、相手が脅しを使ってはいないだろうかと、慎重になってみようと思います。

 

 

例えば「お金がないと食えなくなりますよ」という恐怖を使った洗脳。

思えばこんな脅しだらけの世界に私は生きていました。

今現在本を読むだけ本当にマシになったと思います。

色々な思い込みや今までに受けた洗脳というものが解けていきます。

正解は一つではなく、色々な考え方があり、そして状況によっても変わってくるということがわかってきます。

 

 

いや~私って洗脳されてたんだな(/・ω・)/

 

豪華な家や車、セレブのように物を買いあさり、高級な食べ物を食べて大金持ちになりたいとずっと思っていたのだから・・・そして、本を読むことが多くなればなるほどその思いは消えていくのでした。

 

今は逆に欲があること自体に違和感を感じるようになってきた。

現在の欲はいたってシンプルなものになりました。

 

 

「経済洗脳」は一見本人のためのように見えるが実は「国家財政」のためであるという。

たぶん・・・日本の半数以上の人が日常的に不満や不満をかかえていたり、幸福を感じづらい状況なのではなかろうか。

この本を読んで思ったのは、政治がどうこうという話もあるけれど、もう手遅れなような気もするので、人それぞれが徐々に違和感に気づいていくということが大事なんだと思います。

 

 

最近消費税が上がりましたが、この本の中では

民間人は公務員の奴隷となっ

て働いているのである。

税収の論理でいけば消費増税で利益を吸収するのは公務員だけである

 と書いてあります。

最近税金関係の本を読むようになったのですが、割とどの本も同じようなことを書いていると思います。

今の日本には税金を払う価値がない、だからしっかり節税しましょう、もしくはうまく海外に出ましょうなど。

 

もちろん日本は住みやすい国ではあるとは思うのですが、一部の人にとっては非常に息苦しい国でもあると思います。

日本人は忍耐強いとよく言われますが、そうじゃない人もいるわけで、そういった人は海外で生活することと日本で暮らすことを天秤にかけて考えてもいいのではないかと思うようになりました。

 

 

テクノロジーや生物工学などを読んでいると、人口減少はそこまで問題ではないのかなと思いますが、子供を産みたくても産んで育てる余裕がないなどの問題を、長年放置しているのってどうなんだろと、疑問を感じています。

 

なんにせよ、無駄に欲を駆り立てて、いらないもん買って疲れて消耗して回復したらまた働いて消耗してのループはこれから終わりにしよう。

お金を使わずに生活するにはどうしたらいいのかということを考えるのは、考え方さえ変わってしまえばすごく楽しいです。満ち足りた気分で穏やかに過ごせる日が増えるのです。

 

 

苫米地英人の金持ち脳~捨てることから幸せは始まる~

苫米地英人の金持ち脳~捨てることから幸せは始まる~

  • 作者:苫米地英人
  • 出版社/メーカー: コグニティブリサーチラボ株式会社
  • 発売日: 2014/04/10
  • メディア: Kindle
 

 

 

“幸せ脳のつくり方”読んでみました 感想

苫米地式幸せ脳のつくり方という本を読んでみました。

“努力しても幸せになれなかったあなたへ”という文から始まります。

 

現在、不幸だと思っている人でも、一瞬で幸せになれる脳をつくるということで、

「幸せとはなんなのか」から始まり

「脳が幸せだと感じるメカニズム」

「資本主義から自由になる方法」

「お金から自由になる方法」

「物欲から自由になる方法」

「テレビから自由になる方法」

「仕事から自由になる方法」

「幸せ脳をつくるトレーニング」

などについて書かれています。

 

苫米地式 「幸せ脳」のつくり方

苫米地式 「幸せ脳」のつくり方

 

 

 

私がこの本を読んでみたいと思ったのは「資本主義から自由になる方法」という部分が気になったからです。

私自身そう思いますが、資本主義から自由になれば確実に幸せな人は増えると思います。

目次には「資本主義に従わなくても生きていけることを知る」と書かれています。

常識では資本主義に従わなければ生きていけないと完全に思い込んでいましたが、でもどこかおかしいと思っていた矢先、ここまではっきり明言していることに興味をもちました。

もしかしたらそう思い込んでいる、思い込まされているだけなのかもしれないと・・・。

 

本を読み終わって考えると、いかにテレビに影響を受けたのかが浮き彫りになりました。テレビの中の番組やCMで「幸せ」とされていることをそのまま「それが自分の幸せなんだ」と長年思ってきましたが、実はそれは虚構であったことを最近では特に実感しています。

 

苫米地氏の本で初めて読んだのが「テレビは見てはいけない」でした。

テレビは見てはいけない 脱・奴隷の生き方 (PHP新書)

テレビは見てはいけない 脱・奴隷の生き方 (PHP新書)

 

 テレビ好きな人にとっては一見耳障りが悪く、人によっては陰謀論めいているように感じてしまう内容かもしれませんが、私はこの本を読んでから、徐々にテレビを見る時間を減らしていきました。

 

テレビっ子という言葉がふさわしいほど、子供のころから暇があればテレビ、暇がなくてもテレビという生活を送っており、今考えるとテレビに依存していたなと思うほどですが、現在ではもうほとんどテレビをつけるということがなくなりました。

 

テレビを見なくなったことにより、これらの本に書かれている通り、欲を掻き立てる情報が入ってこなくなったので、以前に比べて物欲と支出が格段と減り、心もざわつくことが少なくなった。

今まで問題だらけの生活を送っていたのが、起こらなくなり、問題が起こったとしても冷静に対処することができるようになった。

 

たまにテレビをつけてみる時もあるのですが、以前の自分はこんなものをずっと見ていたのか・・・と最近ではガッカリすることも多いです。

 

 

「幸せ脳のつくり方」では

テレビの情報に流される人は、奴隷といってもいいでしょう

 

とはっきり言ってしまっています。

確かに以前の私は奴隷だったなと思います。

テレビの情報を咀嚼するならまだしも、鵜呑みにしていました。

 

 

その他、この本の中でそうだよなと思ったのが「スケジュール帳をもたない」という部分です。予定がぎっしり入っていることで、それに縛られている。

私はやはり以前は手帳を持っていて、そこに予定を詰めていくということをしていたのですが、現在はやめています。

「予定を入れなきゃいけない」という強迫観念がどこかにあったのかもしれません。

スケジュールを詰めようとすることをやめて今はのびのびとやりたい時にやりたい事をやっています。

 

 

幸せになりたいと思う上で理解しなければいけないのは「すべては幻想だ」ということを知ることだと思います。

 

苫米地氏の本ではこのことについてよく書かれていると思います。

この本の中では「すべてのことを気として見るようにする」と書かれていますが、別の本では色即是空という言葉で表現していたり、量子論的な言い方をしている時もありますが、結局はどれも同じことを言っているのだと思います。

 

人によってどの言葉が響くのかは違うと思いますが、私はすべてのものはすべて同じもの(素粒子)からできていて、何にでも変化するものなんだということがわかった時から世の中の理解できなかった物事を理解しやすくなったような気がします。

 

 

あとはやはり目に入るもの、認識を変えることが大事だと思いました。

テレビもそうですが、本当に自分にとって重要な物を目に入るようにし、嫌だなと感じるものやどうでもいいものなどはちゃんと片付ける。

(断捨離もしました)

スコトーマという言葉もよく出てきますが、世の中には自分が見えていないもの(認識できていないもの)が山ほどあるんだということを知るだけで、積極的に良い情報を探すようになりました。

人は自分の見たいように世界を認識している。

そしてそれを変えることも可能である。

 

 

最後に、一番気になっていた「資本主義から自由になる方法」について。

あっさり「資本主義には従わなくてもいい」とのことです。

「永遠に株価を上げていかないと成立しない世界」「地球が枯渇するまで掘り続けるのが資本主義」ということで、そういう世界では幸せにはなれないとかかれていてなるほどなと思いました。

確かに個人レベルでみても、欲が尽きなく「もっと」という状態になってしまえば幸せを感じたとしてもまた物足りなさが襲ってくる。

 

「足りない」と思うことが不幸せにつながるんだということを考えると、資本主義もいつか遠くないうちに影響が薄れていくんじゃないかなと感じました。

 

「お金持ちになっても幸せにはなれない」という言葉は本当にあちこちでよく聞く言葉ですが、私は長らくこの言葉の意味が理解できませんでした。

貧乏人の僻みか、お金持ちの戯言だとずっと思っていました。

なぜならお金持ちになったことがないからです。

 

しかし私は最近ようやくこの言葉の意味を理解できるようになってきた。

お金持ちでも不幸な人はいるし、貧乏でも幸せな人はいる。

でも貧乏な人の大半が不幸せであろうという考えは変わりませんが、幸せとお金、この二つは関係あるようで関係ないのだと理解することができ始めています。

「お金を稼ぐ」ことよりも支出を抑えて「実生活を充実させる」ことにシフトチェンジしたことが、私の考え方を変えたのだと思います。

 

 

ということで、個人的な感想を書いてみました。

内容は幅広く、今回書いたこと以外のことも沢山書かれているので、不幸を感じている人には一読をすすめます。

 

 

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【ゲノム解析は「私」の世界をどう変えるのか?】を読んでみた感想

 

ゲノム解析について気になりはじめたので、読みやすそうなこちらの本を読んでみました。

 つい最近「バイオパンク」を読んだからか、女性が書いたものだからなのか、本自体読み慣れてきたのか、とても読みやすかったです。

 

著者は東京大学でゲノムの研究をし、その後事業として「ジーンクエスト」という会社を立ち上げ、ゲノム解析サービスを提供している女性です。

 

研究者というと堅苦しくて身なりの手入れも疎かになりがちなイメージがありましたが、そういったイメージはもうかなり古いもののようですね。

 

 

まず序盤で睡眠リズムが人によって違うということが研究でわかり、9万人のうち朝方が4万人、夜型が5万人とほぼ半分ずつになったということが書かれています。

夜型人間が意外に多くて驚きました。

今まで私の中では夜型自体あまりいいイメージがなかったのですが(不健康な感じ)、遺伝子でそう決まっていたとなると話は違ってきます。

 

私は幼いころから朝が苦手で夜になると頭が冴えてくる人間なのですが、そんな生活をずっと続けてはいるものの「ちゃんと朝早くに起きるようにしなきゃな」と自分を戒めながら長年生きてきました。

 

しかしこの文章を読んで、よくよく考えたら世の中の人全員が同じような時間帯に起きて同じような時間帯に寝なきゃいけないというのはおかしな話だということに気づきます。仮説として以下のことが書かれてあります。

集団生活で睡眠時間が重ならないような多様性を作ることで生き延びてきたのではないか

 

 

私はまだ遺伝子検査をしたことはないのですが、もし調べてみたら夜型に入るのかもしれない。

 どうしても朝がダメで夜の方が調子のいい自分に引け目を感じながら生きてきましたが、もうその必要がなくなりそうです。

更に自分のことを不眠もちだと思っていたのですが、単純に自分に合う時間帯での睡眠を取れていなかっただけなのかもしれないですし・・・。

無理に朝起きてやる気が出てこないが夜になると冴える。

しかし早く寝なきゃ体に悪いと早めに布団に入るも寝れない・・・というサイクルを繰り返していました。

 

最近では「何時に起きても何時に寝ても罪悪感をもたないようにしよう」と思ってから昔に比べてかなり調子は良くなりました。

 

 

 

 

生命科学の成り立ちから、現在どういったことまで研究されているのかということまで書かれていてそちら方面のことはほぼ無知な自分にとってはとても勉強になりました。

そして、いろいろと解明していくためには、多くの人の遺伝子情報が必要だということがわかりました。

 

近年では国内外で遺伝子検査をする人がどんどん増えているそうですが、法則性を明らかにするためにはより多くの人の情報が必要になってくる。

読んでいてなるほどなと思ったと同時に、自分の遺伝情報は最大の個人情報であるので、セキュリティにも詳しくもなければ会ったこともない人の手元に自分の情報を差し出すということはちょっと怖くなりました。

 

私の祖先がどこを辿って今現在いる場所にたどり着いたのかということや病気の傾向など非常に気になるので、遺伝子検査は気になってはいたのですが、躊躇してしまうところです。

 

バイオパンクにも書かれていましたが、自分自身の全ゲノム情報を知る時代は近づいているということで、時代が進めば企業に頼まずとも自分で自分のゲノムを知ることができる時が近づいているのかもしれません。

 

 

がん、腸内フローラ、遺伝病などさまざまなことについて書かれていますが、その中でもなるほどなと思ったのが

生命データを解明することで大きな恩恵を受ける分野の一つは精神疾患ではないかと考える

という部分です。

今まで長らく考えていた精神病や発達障害などの診断についての疑問がここで晴れるとは思っていませんでした。

 

うつ病を始め、精神疾患の多くの診断は、医師が質問することぐらいしか手がない。

ほかの病気では血液検査や画像診断をして客観的に診断していることを考えると、かなり主観的だと思います。

 最近何かと発達障害精神疾患などついて目にすることが多くなりましたが、何かモヤッと感じるのは、その確証となるものが医師の問診以外では無かったらなのだとわかりました。

精神科医ががそうだと診断すればそうなってしまう事にかなりの違和感を感じていました。

 

精神医学について批判的になってしまいそうなところですが、その文章のあとに「現状では仕方のないこと」と付け加えているところがトゲトゲしてなくていいなと思いました。

 

お酒を飲めるかどうかが遺伝子検査でどうやってわかるのかといったことも書かれていて勉強になりました。

私は「お酒が苦手でも無理に飲む、飲ませる」ということがまかり通っていた世界で生きていたことがあります。

しかし遺伝子検査で飲める体質なのか飲めない体質なのかが予めわかっていれば、悲劇は起きないし、これからはより美味しくお酒が飲めるようになるではないかと思います。

 

ちなみに私は若いころに飲めないお酒を飲みまくって、連日二日酔いで体に鞭打っていましたが、お酒をやめてから数年後・・

病院で注射をしてもらう時にアルコール消毒をしてもらったところ、肌が赤くなったので「アルコールアレルギーがあるかもしれませんね」ということを看護師から伝えられたことがあります。

 

元から飲めない体質なのだとわかっていれば、色々な間違いは起こらなかったのかもしれない。

 

 

まだまだ内容は濃いですが、私が気になった部分を抜粋しました。

奥深く興味深い分野なので、これからも情報収集していこうと思います。

 

 

 

『バイオパンクーDIY科学者たちのDNAハック!』感想

前から気になっていた本がAmazonプライムのお試し体験期間で無料だったため読んでみました。

この本を読んで見える世界が変わりました。

世の中には本当に色々な人がいるなと。

 

2003年にヒトゲノム・プロジェクトが完成していたことすら知らなかった私ですが、この本を読みながら理解していきました。

もう人類は自分のDNAを読み解いて、様々な現象や疑問を解き明かそうとしているところまできている・・・。

 

DIY科学者たちのDNAハックとは、自分の遺伝子情報を自分で検査して色々自分でやっちゃおうと、簡単に言えばそんな感じのことで、本の内容はそんな自宅のキッチンやガレージでハックしている実在する人物たちの物語です。

 

2012年に発行されたものなので、8年も前のものになりますが、私にとってはどれも目新しい内容ばかりでした。

 

この本の中に出てくる人たちは、政府機関や製薬会社など産学官の既得権者だけではなく、ごく一般の人でも自由に手軽にDNAをハックできるようになるべきだと主張しています。

そうすることで迅速に世の中の色々な病気や困りごとなどが解決されていくんだと考えている人が多々いるんだということが窺えました。

 

著作権や所有権や特許などというものがありますが、そういったものが進歩、発展を妨げているんだと思う派と、そういったものがあるからこそ逆に意欲をかき立てるんだという意見が対立しています。

 

イノベーションはガレージで生まれている』という言葉が強烈で、非専門家という立場の人が自分のペースで自分の気になる部分を自分のスペースで行っていることに衝撃を受けました。

 

コンピュータのプログラミングとDNAコードは驚くほど似ているらしく、コンピュータへの命令がプログラミングでできるのなら、生命体への指示もプログラミングできるのではということで、生命を自在にデザインできる時はもうすぐそこにせまっているのかもしれません。

 

この話を聞いて私自身はわくわくしてきたのですが、当然「こわい」と思う人もいて、それこそ倫理的な問題に関わってくるので「可能」になったとしても、実現するかどうかはまた別の話になってくるのかと思います。

それでも病気や障害などがこれから解決されていくのかと思うと本当に劇的な進歩を遂げたのだと感じられます。

 

 この本の中ではやはり個人で遺伝子を操作している=危険人物というということで途中でFBIに目をつけられてしまう場面もあるのですが、最終的には和解して敵対することなくやっていくことになります。

 

「オープン性はイノベーションを育てるが閉鎖的な階層主義は硬直化を招き、進歩よりも政治的かけひきが横行する社会をつくる」といったような信念を持っている人が多々いて

組織に属するのが苦手な私にとっては妙に親近感の湧く本だったと思います。

 

ただ彼らが現在自主的に活動できているのは既成組織あってのものなので、真っ向から否定できるものでもないですが、様々な立場の人が様々な方法で情報やツールにアクセスし自分でハックしたりできることはこれから重要になっていくんじゃないかなと私は感じました。

 

不老不死や老化現象、それから癌についてももいずれは解決されるもののように書かれてあり、夢だったことがこれから現実になっていくのかもしれないと考えると想像力を掻き立てられます。

 

 

そして遺伝子工学や生物、病気や健康などについてももっと深く知りたいと思うようになりました。

 

 

バイオパンク DIY科学者たちのDNAハック!

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