最近断捨離にハマっているので、タイトルに惹かれ読んでみました。
頭のゴミというのは怒りや嫉妬、嫌な記憶、嫌な奴、などこの本では全部無用ということになっています。
「コーヒーを飲む、タバコを吸う、バッチリメイクをするなどして、気合を入れないと集中モードになれない人。要するに集中するために、緊張して特別なモードに自分を追い込まないといけない人」というのが、頭にかなりゴミが溜まっている人だそうです。
日本人のほとんどがそうなんじゃ・・・と思ってしまいますね。
私も、気合を入れないと腰が重いタイプです。
この本によれば本当の集中とはリラックスした集中のことだといいます。
エイっと気合を入れなければ集中できませんでしたが、最近私はそれに疲れてきたのでいいタイミングでこの本を読んだと思います。
ステップ1「感情のゴミを捨てる」
対処療法ではなく根本療法ということで、イライラするからそれに対応するのではなく、そもそものイライラをなくしてしまおうというのがこの本の言いたい事です。
この章で衝撃的だったのが
「感情的な人の脳はサル・ゴリラレベル」
と言い切ってしまっていること。
今まで論理的思考を身につけてこなかった私にとっては耳が痛いですがまさにそうだなと思わざるをえないです。
感情=ゴミと言い切っているので気持ちのいいこと。
そしてそのなかなか厄介なゴミを捨てるにはどうすればいいのか。
苫米地さんの本を読んでいると必ずと言っていいほどでてくるのが、ゴールを設定することの大切さです。
この章で印象的だったのは、同じ出来事が起こっても、トラウマになり傷が残る人と、病にならずに癒えていく人との違いです。
この本では「本人にとっての理不尽度が違う」と書かれてあります。
ようするに、受け取り方の違いだとのことです。
「自分にも少しは責任がある」と考える人は心の傷が深くならずに「自分には責任がない」と考える人は傷が深くなる。
確かに「自分は悪くない」と思って被害者の立場に立っている人は昔のことを引きずる傾向にあると私も思います。
要するに理不尽な事に出会った時に相手だけを責める人が自己中心的ということです。
ステップ2「他人のモノサシを捨てる」
「自分で選んだ」と思っても実は周りに左右されていることって結構あります。
ここではその【他人からの刷り込み】について書かれてあります。
他者からの刷り込みによって家のものが使わないもので溢れているというところは特に断捨離中の身としてはグサッときました。
テレビなどの『売るための刷り込み』に影響され、必要もないのに物を買った結果、気が付くと不要なものだらけ。
ステップ3では「これまでの自分というゴミを捨てる」
ここでの衝撃的な内容は【未来が過去をつくる】ということ。
過去→現在→未来
ではなくて未来→現在→過去
という風に成り立っているということです。
これはアビダルマ仏教哲学や現代分析哲学などでも言われているそうです。
過去が未来をつくるのではなく、未来が過去をつくる。
未来がいいものなら、現在も過去もいいもの。
今が最悪な状態なら「あの時にこうだったからだ」と過去を恨んだりしないのですが、
今が割と幸せなら、自然に過去に感謝できる。
だから、過去ってそんなに重要じゃないんだなっていうのがこの章を読んで確信に変わります。
ステップ4では「マイナスの自己イメージ」というゴミを捨てる
この世界は言語で成り立っている
法律や経済、土地、宇宙、お金、約束などほとんどが言語。
そしてその言語によって刷り込みがされている。
「失敗体験は二度と思い出すな」と言い切ってしまっているところが思いきっていて気持ちがいいです。
失敗体験を反芻することはまったくもって無駄だということです。
周りのネガティブ「ドリームキラー(夢を殺す人)」を撃退する方法は「夢を他人に話さない事」だそうです。
『夢を語る』のはいいことだけど、語ってネガティブな反応「失敗したらどうするの」「心配」などという言葉が返ってくると「話さなければ良かった」ということを私も何度も経験しています。
ステップ5は我慢というゴミを捨てる
ここでは「やりたくないことをやめる」。
ステップ6自分中心というゴミを捨てる
今まで「捨てなければならない」と意識しているうちは本当に捨てる事はできないという本質をついてきました。
確かに「捨てなければならない」と考えているうちは「~ねばならない」という思考が頭にあるということ。
ステップ7恐怖というゴミを捨てる
「恐怖を悪用する人々」政治家やテレビCMなどですね。
「食えなくなるから辞められない」ことへの考え方の
ステップ8論理へのとらわれというゴミを捨てる
ゲシュタルトについての説明がされています。
ここについては、私はもっと詳しく知りたいと思ったので、一冊ゲシュタルトの本を読んでみたいと思います。